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1. 導入
正倉院《しょうそういん》に、同じ鏡がある。
葡萄唐草文《ぶどうからくさもん》と獅子の文様を鏡背に浮かび上がらせた海獣葡萄鏡。唐代の工房で作られ、シルクロードの意匠を纏ったその鏡は、聖武天皇《しょうむてんのう》の遺品として正倉院に収められた。
高松塚古墳から出土した海獣葡萄鏡は、その正倉院の鏡と同型だ。同じ鋳型から生まれた、兄弟のような鏡。一方は天皇の宝物として奈良に渡り、もう一方は誰かの棺の傍らに置かれて、1300年間、土の中にあった。
正倉院の鏡の主は分かっている。聖武天皇だ。
高松塚の鏡の主は、分からない。
これだけの壁画と副葬品を持ちながら、被葬者の名前は今も特定されていない。副葬品が語ること、壁画が語ること、地形が語ること——手がかりは複数ある。それでも答えは出ない。
誰のために、あの宇宙は描かれたのか。
2. 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 正式名称 | 高松塚古墳(たかまつづかこふん)・国宝高松塚古墳壁画 |
| 所在地 | 奈良県高市郡明日香村《あすかむら》大字平田 |
| 築造時代 | 藤原京期(694〜710年)と確定(2005年の発掘調査による) |
| 被葬者 | 未特定。天武天皇《てんむてんのう》の皇子説・臣下説・朝鮮半島系王族説の3説あり |
| 古墳形式 | 二段築成の円墳(下段直径約23m、上段約18m、高さ約5m) |
| 出土品 | 海獣葡萄鏡、銀装大刀金具、金銅製棺飾金具、琥珀製丸玉、ガラス製粟玉など(重要文化財) |
| 文化財指定 | 特別史跡(古墳本体)、国宝(壁画)、重要文化財(出土品) |
| 世界遺産 | 「飛鳥・藤原の宮都」構成資産。2026年6月イコモス登録勧告。7月の世界遺産委員会(釜山)で正式決定の見通し |
3. 副葬品が語ること
正倉院と同じ鏡が、なぜ古墳に
高松塚古墳の副葬品は、鎌倉時代の盗掘によってその大部分が失われた。それでも残ったものがある。
海獣葡萄鏡だ。
直径16.8センチ。鏡背に葡萄唐草と獅子形の獣が浮かび上がり、中心には獣形の鈕《ちゅう》がある。唐代を代表する銅鏡の様式で、中国西安で出土した鏡との同型関係が確認されており、唐から直接もたらされた舶来品と考えられている。
葡萄唐草文のルーツは西アジアだ。ディオニュソス信仰の楽園図像が、シルクロードを経て中国に伝わり、唐代の銅鏡に宿った。高松塚の鏡の裏側には、飛鳥から長安、そして遥か西方への文化の流れが凝縮されている。
そしてこの鏡と同型のものが、正倉院に収められている。聖武天皇の遺品として伝わった宝物の中に、同じ鋳型から生まれたと見られる鏡がある。高松塚の壁画館に並ぶレプリカを前にすると、その事実がにわかに重さを持つ。同じ鏡が一方は天皇の遺品として、もう一方は名もなき(あるいは名を失った)誰かの棺の傍らに——という対比が。
注目すべきはキトラ古墳との差異だ。キトラからは鏡が出土していない。高松塚にはある。古代において鏡は威信財であり、格式の指標だ。これが「高松塚の被葬者はキトラより格上ではないか」という議論の出発点になっている。

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残った副葬品が語る輪郭
鏡のほかに残ったものがある。
棺を飾った金銅製の透かし彫り金具。銀装大刀の金具類。そして琥珀製丸玉2個とガラス製粟玉多数。
琥珀の丸玉は温かみのある飴色をしており、ガラス玉は光を通すと透き通るように美しい。盗掘を免れたこれらの副葬品は、1300年の時を経てなお色と形を保っていた。壁画館のレプリカ展示でも、その存在感は十分に伝わってくる。
ただしここで立ち止まる必要がある。今残っているものだけで被葬者の格式を判断することには限界がある。「残っていないもの」をどう評価するか——これが研究者を悩ませてきた問いだ。本来はキトラにも鏡があり、盗掘で持ち去られた可能性はゼロではない。「なかった」のか「失われた」のか、証明できない。
あるもので推定し、ないものの理由を想像する。考古学の読み解きは、つねにこの不確かさの上に立っている。
4. 証拠を積み上げると、どこで詰まるか
天皇でないことは分かる
高松塚古墳は二段式の円墳だ。飛鳥地域の天皇陵はすべて八角形墳であることから、円墳の被葬者は天皇ではないと推定されている。人骨の鑑定から被葬者は火葬されていない熟年男性と分かっており、火葬された記録のある文武天皇《もんむてんのう》も候補から外れる。
天皇ではない。では誰か。
地形が示す「聖なるライン」
古墳の立地には手がかりがある。
飛鳥の丘陵地に、特定の直線上に重要な古墳が並んでいることが指摘されている。天武・持統天皇の合葬陵、文武天皇陵とされる中尾山古墳、高松塚古墳、キトラ古墳——「王宮の南西側に王族の墓を設ける」という中国の制度にならった配置と考えられており、研究者は「聖なるライン」と呼んでいる。
このラインが示唆するのは、高松塚が単独で選ばれた場所ではなく、意図的な計画の中に置かれた墓だということだ——とする研究者もいる。天武天皇ゆかりの人物である可能性を、地形が補強しているという見方だ。
ただし「聖なるライン」自体が仮説であり、古代の設計意図を直接示す文書は見つかっていない。地形の一致を「意図的な計画」と読むか「偶然の一致」と読むかは、研究者によって見解が分かれる。

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忍壁皇子という名前
現在、最も有力とされる候補が忍壁皇子《おさかべのみこ》だ。
天武天皇の皇子で、藤原京期に律令整備に関わったとされる人物。出土人骨の推定年齢と、忍壁皇子が死亡したとされる年齢が近いとする説があり、直木孝次郎《なおきこうじろう》ら著名な研究者が支持してきた。
しかしここで詰まる。
忍壁皇子の没年については史料上の不確かさがある。『続日本紀《しょくにほんぎ》』の記述が断片的で、正確な没年が確定していないのだ。「年齢が近い」という根拠自体が、揺らいでいる。
臣下説を唱える研究者もいる。壁画の格式に対して副葬品が皇族最高クラスとしてはやや控えめだとする見方から、高位の官人を想定する立場だ。朝鮮半島系王族説は、壁画の人物像や服装の様式から渡来系の人物を見る研究者が主張する。
証拠を積めば積むほど、可能性は絞られる。しかし最後の一手が届かない。
石室は2007年に解体・移送され、古墳の丘から切り離された。中に眠っていた人物の名前を、土地はもう語らない。
5. 壁画の図像体系
「飛鳥美人」の外側にあるもの
高松塚古墳の壁画を「飛鳥美人」だけで語ると、見落とすものがある。
四神、日月、人物群像、星宿図《せいしゅくず》——これらは個別の絵ではなく、一つの宇宙観を構成する体系だ。東に青龍《せいりゅう》と太陽、西に白虎《びゃっこ》と月、北に玄武《げんぶ》、南に(失われた)朱雀《すざく》。天井には星座。四方と天上を守護する神々が、死者の空間を完全に覆っている。
「飛鳥美人」という呼び名は発見直後にメディアが自然発生的に使い始めた通称で、正確には「西壁女子群像」だ。4人の女性は美人画として描かれたのではなく、死者の旅を見守る天上の侍女として位置づけられていたと考えられている。
四神に囲まれ、日月を脇に置き、頭上に星座を持つ空間の中で、あの女性たちは何のために立っているのか。壁画全体の構造から問い直すと、「飛鳥美人」という名前の先に、別の見え方が生まれる。

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キトラとの違いが示すもの
キトラ古墳の天文図には赤道・黄道に相当する精密な4つの円があり、本格的な天文観測の記録に近い。高松塚の星宿図は28の星宿が視覚的なデザインとして配置されており、「天上世界の表現」としての完成度が優先されている。同じ星を描きながら、目的が違う。
女子群像の服装は高句麗の壁画古墳に描かれた婦人像との相似が指摘されており、朝鮮半島を通じた文化交流の痕跡が衣の線に刻まれている。一方、壁画全体の様式はキトラとは異なる日本独自の画風で描かれているとも指摘されている。大陸の思想を取り込みながら、日本の手で再構成した宇宙——そう読むこともできる。
6. 深掘りコラム
コラム① 盗掘した者が、研究を困難にした
鎌倉時代、誰かが高松塚古墳に穴を開けた。
目的は副葬品の略奪だったと考えられている。鏡、刀、玉——価値のあるものを持ち去った。壁画には手をつけなかった。色彩は残り、副葬品は消えた。
その選択が、1300年後の研究者を困らせている。
残った副葬品から格式を推定し、失われた副葬品の存在を想像する。「キトラには鏡がない、だから高松塚の方が格上だ」という議論も、「キトラにも本来は鏡があったが盗まれた可能性がある」という反論を完全には退けられない。
盗掘者は被葬者の名前など気にしなかった。ただ価値あるものを取り、去った。その無関心が、現代の問いを宙吊りにしている。
皮肉なことに、壁画を残したことで高松塚古墳は世界的に有名になった。盗掘者が壁画の価値を知っていたら——あるいは知らなかったからこそ——今日の私たちはあの色彩を目にできたのかもしれない。
コラム② 「飛鳥美人」という名前の力と限界
「飛鳥美人」という呼び名は、1972年の発見直後にメディアが自然発生的に使い始めた。研究者がつけたものではない。
この名前の力は絶大だった。朝日新聞のカラー写真が全国を席巻したのも、人々が熱狂したのも、「飛鳥美人」という言葉があったからだ。壁画は固有名詞を手に入れ、時代のアイコンになった。
ただし「美人」という現代的な眼差しは、壁画の意味構造とずれている。
あの女性たちは四神・日月・星座と同じ体系の中に置かれた存在だ。死者の空間を守る侍女であり、天上世界の構成要素だ。「美しい」という感想は間違いではない。しかし「美人画」として切り取ると、壁画全体が持つ宇宙的な設計から切り離されてしまう。
名前は記憶を助け、理解を妨げることがある。
「飛鳥美人」を知った上で、その名前をいったん外して見てみてほしい。四神に囲まれ、頭上に星座を持つ空間の中で、あの女性たちは何のために立っているのか。その問いの方が、壁画の本来の力に近い。
コラム③ 「分からない」を保つこと
高松塚古墳の被葬者は、今後判明する可能性があるのか。
現状では難しいと見られている。人骨は一部しか残っておらず、DNA解析が可能な状態かも不明だ。新たな文書史料が出てくることも、現実的には期待しにくい。
ただ2005年の発掘調査で築造時期が藤原京期と確定したように、技術の進歩が新たな情報をもたらすことはある。研究は続いている。
一方で、「分からないまま」でいることの意味を考えると、興味深いことに気づく。
名前が判明した瞬間、この古墳は「○○の墓」になる。
名前のないまま、高松塚古墳は「あの時代に、これだけの壁画と副葬品を用意された誰か」であり続けている。固有名詞ではなく、時代そのものの記録として。正倉院と同じ鏡を持ち、唐の宇宙観を壁に描かせた誰かが、1300年間ずっと問いのままでいる。
導入に戻ろう。正倉院の鏡の主は分かっている。高松塚の鏡の主は、分からない。
その非対称が、この古墳を特別な場所にしているのかもしれない。
7. 現地情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 奈良県高市郡明日香村大字平田(国営飛鳥歴史公園内) |
| 古墳丘 | 終日開放・無料 |
| 高松塚壁画館 | 古墳に隣接。壁画模写・石槨模型・副葬品レプリカ(海獣葡萄鏡・玉類含む)を展示。開館時間9:00〜17:00(入館は16:30まで)、休館日あり |
| 壁画実物公開 | 2026年度から約4年間休止。2029年度末に新施設での公開再開予定 |
※ 公開スケジュール・新施設の詳細は変更される場合があります。 → 文化庁「高松塚古墳・キトラ古墳」公式ページで最新情報を必ずご確認ください。
アクセス 近鉄飛鳥駅から徒歩約15分。レンタサイクルも利用可(飛鳥駅周辺に貸出店あり)。
8. 関連リンク・参考情報
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9. 用語・技法のミニ解説
海獣葡萄鏡《かいじゅうぶどうきょう》 唐代に流行した銅鏡の様式。葡萄唐草文と獅子形の獣(狻猊《さんげい》)を組み合わせた文様が特徴で、葡萄唐草のルーツはシルクロードを経た西アジアの図像にある。正倉院にも同型鏡が伝わっており、高松塚出土鏡との同型関係が確認されている。1972年の高松塚発見を機に研究が大きく進んだ。キトラ古墳では出土しておらず、両古墳の格式差を論じる際の重要な指標とされている。
横口式石槨(よこぐちしきせっかく) 凝灰岩などの切石を箱形に組み合わせた石室形式。南側に入口を持ち、高松塚・キトラ・天武持統陵などに見られる。7世紀後半から8世紀初頭の終末期古墳に特徴的な形式だ。
四神(しじん) 東西南北の四方を守護する神獣。東=青龍、西=白虎、南=朱雀、北=玄武。中国の古代宇宙観に基づき、高句麗の壁画古墳を経由して日本に伝来したと考えられている。高松塚では盗掘により南壁の朱雀が失われており、四神が完全に現存するのはキトラ古墳壁画のみだ。
終末期古墳(しゅうまつきこふん) 7世紀後半から8世紀初頭、古墳時代の末期に築造された古墳の総称。規模は縮小する一方、石室内の壁画や副葬品に大陸文化の影響が色濃く現れるのが特徴。高松塚・キトラはその代表例だ。
アイキャッチ画像
Photo by Tsuyoshi chiba (via Wikimedia Commons)
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