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1. 導入
明日香村の道を歩いていると、民家がある。その先にも民家がある。畑がある。1300年前の死者の空間は、今日の生活と地続きにある。
やがて、広い緑地に出る。丘陵の南斜面に、草に覆われた小さな円い丘。それがキトラ古墳だ。景観を壊さないよう配慮された施設が緑の中に静かに立っている。世界遺産の登録範囲に普通の暮らしが含まれているこの土地の空気が、ここにも続いている。
キトラ古墳壁画体験館「四神の館」の中に、石室の模型がある。奥行2.4m、幅1.0m、高さ1.2m。思わず二度見するくらい、小さい。あの四神と天文図が収まっていた空間が、これほど小さかったのか。
公開は年に数回、四神と天文図を一点ずつ。予約制で、20人前後のグループがガラスルームに案内される。私が見たのは玄武だった。亀の甲羅に蛇が絡みつく複合形態が、ガラス越しに静かにそこにあった。
入ることはできない。壁画は古墳の石室ではなく、この施設の中にある。2004年に石室から取り外され、古墳本体は埋め戻された。壁画と古墳は、もう一緒にない。
それでも、大事にされているという実感があった。無料で、丁寧に、少人数で。
そして気づく。四神を全部見るには、最低4回来なければならない。また来ようと思う。それがこの場所の、静かな引力だ。
なぜ1300年前の人々は、これほどの宇宙を一つの小さな墓室に描こうとしたのか。その問いは、ガラスの前に立って初めて、本当の重さを持つ。
2. 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 正式名称 | キトラ古墳(亀虎古墳)/ 国宝キトラ古墳壁画 |
| 所在地 | 奈良県高市郡明日香村大字阿部山 |
| 造営時代 | 7世紀末〜8世紀初頭頃(持統・文武天皇期)と推定 |
| 被葬者 | 未特定。天武天皇の皇子または側近高官の可能性が高いとされる |
| 古墳形式 | 二段築成の円墳。石室は凝灰岩切石18個で構成 |
| 壁画構成 | 四神(東:青龍/南:朱雀/西:白虎/北:玄武)、十二支像、天文図、日月像 |
| 文化財指定 | 特別史跡(古墳本体)、国宝(壁画5面、2019年指定) |
| 世界遺産 | 「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」構成資産。2026年6月にユネスコ諮問機関(イコモス)が登録勧告。7月の世界遺産委員会(釜山)で正式登録の見通し |
| 現在地 | 壁画は石室から取り外し保存。奈良文化財研究所「四神の館」で期間限定・事前登録制で実物公開 |
| 今見ておくべき理由 | 日本で四神が四方すべて揃う唯一の壁画古墳。公開は年数回・抽選制で、見られる機会が限られる |
3. 歴史と背景
二つの「最初」の間に
キトラ古墳が造られたのは7世紀末から8世紀初頭にかけてと考えられている。飛鳥時代の最後期、藤原京が機能していた時代だ。高松塚古墳とほぼ同時期、あるいはやや先に造られたとする説が有力とされる。
発見は1983年。地元の研究者グループが石室の存在に気づき、光ファイバーカメラで内部を確認した。日本で高松塚古墳に次ぐ2例目の壁画古墳だった。
ただし、その重要性は「2例目」という順番を遥かに超えていた。
高松塚古墳では盗掘によって南壁の朱雀が失われていた。四神が揃っていなかったのだ。キトラ古墳は無傷だった。東西南北の四壁それぞれに守護獣が描かれ、天井に星図が広がり、十二支の像が四神の下に並ぶ。
日本で四神の図像が四方すべて揃って現存するのは、キトラ古墳壁画のみだ。
誰のための宇宙だったのか
石室の中から出土した歯と顎の骨から、被葬者は50〜60代の男性と推定されている。しかし、誰なのかは今も判明していない。
有力視されているのは右大臣・阿倍御主人(あべのみうし)だ。古墳が位置する地名「阿部山」との一致を根拠に、白石太一郎・直木孝次郎ら複数の研究者が支持してきた。阿倍御主人は大宝3年(703年)に69歳で没したとされ、推定年齢とも矛盾しない。
一方、天武天皇の皇子を被葬者と見る研究者もいる。壁画の格式は皇族クラスに相応しいと見られているが、出土した金属装飾品は銀装の高松塚古墳より格が低い金象眼だった。高松塚よりやや身分が低い人物という推測が成り立つ。被葬者は一人で、皇族か、あるいは皇族に近い高官か——結論は出ていない。
「誰のための宇宙か」という問いの答えは、まだ石室の底に沈んでいる。

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4. 四神とは何者か——建築・図像の特徴
四方を守る神獣の役割
四神は、もともと中国の思想に由来する。青龍・朱雀・白虎・玄武の四獣は、それぞれ東西南北の方位を司り、その方角を守護するとされた。墓に描かれる場合、死者の遺体を四方から守るという機能を持つ。生者の都市では城門の四方に配置され、王宮の守護として機能した。
キトラ古墳では、各神獣が対応する方位の壁に描かれている。東壁の青龍は上半身を前に向けて躍動し、北壁の玄武は亀の甲羅に蛇が巻きつく複合形態で表現されている。朱雀は残念なことに損傷が激しく、全体像の把握が難しい状態だ。
この配置は偶然ではない。石室の向きが方位に合わせて設計されており、壁画はその設計と一体で機能している。単なる絵ではなく、死者を囲む空間全体が宇宙論的な秩序として構成されていた。
高松塚古墳との違い
同じ飛鳥地域にあり、ほぼ同時期に造られた高松塚古墳と比べると、キトラ古墳の特異性がより鮮明になる。
高松塚古墳の壁画には人物群像が描かれている。飛鳥美人と呼ばれる女性像は、唐代の絵画様式の強い影響を受けた華やかさを持つ。高松塚古墳は遣唐使が帰国した704年以降の唐文化の影響を色濃く反映していると考えられている。
キトラ古墳には人物像がない。代わりに、四神・十二支・天文図という宇宙論的な図像が石室を埋め尽くしている。唐文化の影響は高松塚ほど強くなく、造営時期がやや早い可能性も指摘されている。
同じ時代、同じ地域の二つの古墳が、これほど異なる世界観を選んでいた。高松塚が「人間の世界」を墓に持ち込んだとすれば、キトラは「宇宙の秩序」そのものを死者の周囲に配置した。なぜその選択がなされたのか——被葬者が不明である以上、答えは出ない。
天井に描かれた世界
石室の天井は、地上の世界ではない。
金箔で打たれた360個以上の星が、朱線で結ばれて74座の中国星座を形成している。天の北極を中心に内規・赤道・外規の3つの同心円と、北西にずれた黄道の円が描かれる。
この4つの円を備えた本格的な中国式円形星図としては、現存する世界最古の実例と評価されている。ただし、一般に言われる「世界最古の星図」というのは条件付きだ。この評価は「本格的な中国式円形星図」という範囲に限定されており、星の位置には誤りもある。
さらに興味深い問題がある。この天文図に描かれた星空は、古墳が造られた7〜8世紀のものではない可能性が指摘されている。星の配置の分析から、観測時期は西暦400年頃、観測地点は中国の洛陽・長安付近(北緯34度付近)と推定する研究者もいる。もしそうであれば、古代中国で作られた星図がどこかの段階で日本に渡り、それがそのまま石室の天井に写し取られた可能性がある。
死者の頭上に描かれたのは、日本の空ではなかったかもしれない。

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5. 体験としての鑑賞
四神の館へ、そして古墳の丘へ
まず四神の館に入る。地下の常設展示で石室の構造・壁画の全体像を把握してから、壁画の実物公開へ向かう順序が自然だ。
公開は20人前後のグループ単位で案内される。ガラスの前に立つと、1300年前の顔料がそこにある。玄武であれば、亀の甲羅に絡みつく蛇の線が、漆喰の白地の上に今も残っている。色を保っている部分と、漆喰ごと崩落した空白の部分が隣り合っている。修復・保存処置が加えられているが、そこにあるのは模造品ではない。
入ることはできない。見るだけだ。しかしガラス一枚の隔たりが、かえってその線の古さを際立たせる。
公開が終わったら、館から歩いてキトラ古墳の丘へ向かう。草に覆われた小さな円い丘。古墳の前には石室の寸法を原寸で示した地形模型があり、壁画を浮き彫りにした金属製の乾拓板で拓本体験もできる。
丘を見上げながら、あの狭さを思い出す。奥行2.4m、幅1.0m、高さ1.2m。あの中に、四神と天文図と十二支が収まっていた。壁画はもうここにはないが、石室はまだ丘の中にある。
訪れるタイミングについて
公開は年数回、四神と天文図を一点ずつ。一次応募は抽選制で、応募期間はおおむね公開の1〜2ヶ月前に設定される。定員に空きがある場合は二次募集・当日受付も行われる。無料。
四神を全部見るには、最低4回来なければならない。世界遺産登録後は応募者が増え、抽選の競争率が上がる可能性が高い。今のうちに、できれば毎回申し込んでおくのが現実的だ。
壁画公開の日程・申込方法は必ず公式サイトで最新情報を確認してほしい。

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6. 深掘りコラム
コラム① 「四神が揃う」ことの、本当の意味
四神が四方に揃っている——この説明は、多くの観光資料に書かれている。
しかし、揃っていることが「なぜ重要なのか」は、意外と語られない。
四神の思想において、四神は単体で機能する守護獣ではない。四方が揃って初めて、死者は宇宙の秩序に守られた状態になる。東だけ、北だけでは、宇宙論的な意味が成立しない。四神は個別の絵ではなく、一つのシステムとして機能する。
高松塚古墳の朱雀が盗掘で失われていたことの意味は、絵が一枚欠けたという話ではなかった。宇宙のシステムに欠損が生じていた、という話だったのだ。
キトラ古墳では、そのシステムが完全な形で1300年を生き延びた。
さらに、十二支が四神の下に配置されている。子から始まり時計回りに、方位に対応した壁に3体ずつ。十二支もまた、時間と方位を同時に司るシステムだ。四神が空間を守り、十二支が時間を守り、天文図が宇宙全体を映す。
この石室は、被葬者を「空間・時間・宇宙」の三重の秩序で包もうとした構造物だった。
それだけの秩序を墓に込めた人々が、誰に対してそれをしたのか——1300年後の私たちには、まだ分からない。
コラム② 「世界最古の星図」という肩書きの、正確な意味
「世界最古の星図」という言葉は、キトラ古墳の説明によく登場する。
正確には、こうだ。
「本格的な中国式円形星図として、現存する世界最古の実例」。
3つの条件が付いている——中国式であること、円形であること、本格的(内規・赤道・外規・黄道の4つの円を備えること)であること。この3条件を満たした星図として現存する最古の例、という意味だ。
さらに、この天文図は精密な星図ではない。星の位置には誤りがあり、星座の配置も実際の星空と完全には一致しない。奈良文化財研究所の研究員自身が「一部に間違いもある」と明記している。それでも評価が高い理由は、星の位置の正確さではなく、天文学的に意味のある4つの円を備えた構造を持つ最古の例だからだ。
加えて、描かれた星空がいつのものかという問いもある。古墳の造営は7〜8世紀だが、天文図に描かれた星の位置から、観測時期は西暦400年頃、中国の洛陽・長安付近で観測されたと推定する研究者がいる。もしそうなら、この星図は古代中国で作られたものが何らかの形で日本に伝わり、そのまま石室の天井に写されたことになる。
「世界最古の星図」という肩書きが正確に何を指しているのかを知ったあと、天井を見上げる目線は変わる。そこにあるのは日本人が日本の空を記録した図ではなく、大陸から渡ってきた宇宙観が、飛鳥の地下に埋め込まれたものかもしれない。
コラム③ 壁画を「取り外す」という決断——文化財保存の問いは今も続く
2004年、日本の文化財保存史上、ほかに例のない作業が行われた。
石室の壁面から、漆喰ごと壁画を剥がす。
それまでの文化財保存の原則では、建造物や遺構は「その場に残す」ことが基本だった。動かせばリスクが生じる。場所を離れれば、遺構としての文脈が失われる。それでも文化庁は取り外しを選択した。石室内に残したままでは、カビや温度・湿度の変化によって近い将来に壁画が失われると判断されたためだ。
この決断は正しかったか。
現時点では、壁画は保存施設で生き延びている。もし取り外さなかったら——という問いに答える方法はない。
ただ、この問いは現代の文化財保存に普遍的な問いとして残っている。2019年のノートルダム大聖堂火災後の再建をめぐり、世界中で「焼失前の姿に戻すべきか」「時代の痕跡を残すべきか」という議論が起きた。キトラ古墳の取り外しが問うたのも、根は同じだ——文化財を守るとは、何を守ることなのか。
石室から離れた壁画は、今も公開のたびに人を集める。古墳の丘は、壁画のない石室を抱えたまま、明日香村の南西に静かに立っている。
「飛鳥・藤原の宮都」のユネスコ諮問機関による登録勧告(2026年6月)を受けて、この丘を訪れる人は増えるだろう。応募者が増えれば、抽選の競争率も上がる。守られるほど、遠くなる。
それでも四方を守る四神は、古墳の外で待っている。壁画が古墳に戻る予定は、今のところない。
7. 現地情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 壁画公開場所 | キトラ古墳壁画体験館 四神の館(奈良文化財研究所) |
| 壁画公開形式 | 期間限定・事前申込制(無料)。応募者多数の場合は抽選。定員に空きがある場合は二次募集・当日受付あり |
| 古墳本体 | 外観見学のみ可。石室内部は埋め戻し済み |
| 所要時間目安 | 四神の館+古墳周辺:1〜1.5時間。高松塚古墳と合わせると半日 |
※ 壁画公開の日程・申込方法は変更されます。必ず奈良文化財研究所「四神の館」公式サイトで最新情報を確認してください。 → 四神の館公式サイト:https://www.nabunken.go.jp/shijin/
アクセス 近鉄橿原神宮前駅から明日香周遊バス「キトラ古墳前」下車、徒歩すぐ 高松塚古墳からは徒歩約20分(明日香村南西部)
おすすめ見学ルート
壁画公開日に合わせて訪問する場合: ① 高松塚古墳(壁画館含む)→② 石舞台古墳→③ キトラ古墳周辺地区・四神の館
公開日でない場合も、古墳の丘と周辺の景観を見学することはできる。四神の館の常設展示(複製・模型)は通常公開している(要確認)。
8. 関連リンク・参考情報
→ 四神の館(奈良文化財研究所)
→ 文化庁「キトラ古墳」
→ 国営飛鳥歴史公園
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9. 用語・技法のミニ解説
四神(しじん) 東・南・西・北の四方を守護する神獣。東:青龍(せいりゅう)、南:朱雀(すざく)、西:白虎(びゃっこ)、北:玄武(げんぶ)。もとは中国の方位思想・陰陽五行説に由来し、古代朝鮮を経て日本に伝来した。墓や宮殿の守護として用いられた。
玄武(げんぶ) 四神のうち北を司る神獣。亀と蛇が絡み合う複合形態で表現される。キトラ古墳の玄武は、日本で最もよく保存された古代の玄武図像の一つとされる。亀の長寿と蛇の再生を組み合わせた形態は、不死・永続のイメージと結びつく。
天文図(てんもんず) 天体の配置を示した図。キトラ古墳の天文図は、天の北極を中心に内規・赤道・外規の3同心円と黄道を備えた円形の中国式星図。金箔で星を、朱線で星座の線を表現。本格的な中国式円形星図として現存最古の実例とされる(星の位置の一部に誤りあり)。
十二支像(じゅうにしぞう) 子・丑・寅……の十二支を、獣の頭と人間の体を持つ姿(獣頭人身)で表した像。キトラ古墳では四神の下に配置され、現状で6体の存在が確認されている。中国・朝鮮の同種の表現と比べ、衣装の色が方位に対応する四神の色と揃えられている点が日本独自の特色とされる。
凝灰岩(ぎょうかいがん) 火山灰などが固まってできた岩石。柔らかく加工しやすいため、飛鳥時代の石棺や石室の石材として多用された。キトラ古墳の石室も18個の凝灰岩切石で構成される。同じ石材は高松塚古墳や飛鳥地方の多くの古墳石室に用いられており、この地域の工人集団の技術圏を示す。
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